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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)4210号 判決

原告

株式会社

早川書房

右訴訟代理人

五十嵐敬喜

菅原哲朗

堀敏明

被告

株式会社

徳間書店

右訴訟代理人

斎藤弘

吉田杉明

被告

堀晃

右訴訟代理人

佐々木黎二

松井宣彦

猪山雄治

相原英俊

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一請求の趣旨

1  被告株式会社徳間書店は、徳間文庫本「太陽風交点」の印刷、製本、発行、頒布をしてはならない。

2  被告らは各自、原告に対し、金一〇二〇万円及びこれに対する昭和五六年三月五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行の宣言

二請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一請求の原因

1単行本「太陽風交点」の出版権設定契約の締結

原告は、昭和五三年一〇月、その出版にかかる雑誌「SFマガジン」編集長今岡清をして、被告堀晃との間で、右雑誌等に掲載された同被告執筆の「太陽風交点」等のSF短編小説を集め、これを一冊の単行本として以下の約定の下に出版する旨の出版権設定契約を締結した。

(一) 装訂は加藤直之に依頼し、四六版の上製本とする。

(二) 解説は小松左京に依頼する。

(三) 原告は、被告堀に対し、定価の一〇パーセントにあたる印税を支払う。

(四) 定価は後日定める。

(五) 初版本の出版部数は原告に一任する。

(六) 出版日は特に定めない。

その後、今岡と被告堀とが協議して、収録すべき小説を「太陽風交点」「イカルスの翼」「時間礁」「暗黒星団」「迷宮の風」「最後の接触」「電送都市」「骨折星雲」「遺跡の声」「悪魔のホットライン」の一〇編と決定した。

右出版権設定契約に基づき、原告は、昭和五四年一〇月一五日、装訂加藤直之、解説小松左京による四六版上製本(単行本)「太陽風交点」初版本七〇〇〇部を定価一二〇〇円で出版した。

2文庫本「太陽風交点」の出版権設定契約の締結

原告は、昭和五五年一二月二一日、その編集部員細井恵津子をして、被告堀との間で、前記単行本「太陽風交点」を文庫本(A六版)化し、昭和五六年九月までに出版する旨の出版権設定契約を締結した。右契約締結の際、被告堀は細井に対し、原告以外の出版社から文庫本「太陽風交点」の出版はしない旨確約した。

3出版界の商慣習と本件契約の性質

前記各出版権設定契約はいずれも口頭で締結され、被告堀が原告に「太陽風交点」の出版権を設定する旨の明示の文言は交わされていない。しかし、出版界においては口頭契約は商慣習であるとともに、先行出版社から出版された単行本あるいは文庫本については三年間他社かり出版してはならないとの不文律が存在し、これは著作権法第八三条第二項に基づくものであり、このことは出版界の慣行となつており、著作者も熟知している。

仮りに、著作権者に同一著作物について複数の出版社との間に、複数の出版契約をする自由を認めたとしたら、先行出版社は、絶えず同一単行本もしくは単行本よりはるかに低額な文庫本の出現の危険にさらされ、このことは、第一に単行本出版を不可能とし、第二に文庫本についても果てしない値引き競争を惹起することになり、ひいて、出版社の経済的基礎を失わさせるのみならず、読者に対しては上質な単行本を求める権利を失わせるものである。

したがつて、著作権者と出版社との単行本あるいは文庫文を出版する旨の契約は、口頭であつても、出版界の慣行として出版権設定契約である。本件各契約も単なる出版許諾契約ではなく、出版権設定契約として締結されたものにほかならない。

4被告らによる原告の出版権の侵害

被告徳間書店は、その出版にかかる雑誌「SFアドベンチャー」に、日本SF大賞の受賞作品をその銓衡経過とともに発表するほか、賞金一〇〇万円を受賞者に授与しているところから、同賞が設定された当初から、同賞受賞作品を徳間文庫に収録するとの方針をとつており、昭和五六年一月一四日、原告出版にかかる単行本「太陽風交点」が日本SF大賞銓衡委員会から同賞受賞作品に選ばれるや、右方針に従い、被告堀同意の下に、右単行本と収録する小説も同一で、小松左京の解説もそのまま掲載した徳間文庫本「太陽風交点」を、同年三月五日に八万部、定価三八〇円で出版し、もつて、原告が単行本あるいは文庫本「太陽風交点」について有する出版権を侵害した。

5被告らの故意

被告らは、いずれも原告と被告堀との間に前記出版権設定契約が締結されていることを知りながら、営利を目的として、早川文庫本「太陽風交点」の出版計画を妨害する右出版権侵害行為をした。

6原告の損害

原告は、被告らによる右出版権侵害行為により、次のとおりの損害を被つた。

(一) 単行本の損害 三一三万八二四二円

原告出版の単行本「太陽風交点」の在庫は、昭和五五年度まで約一〇八〇冊であつたが、右単行本が日本SF大賞を受賞したため、昭和五六年一月の出庫は、七二五冊と急激に増加した。このことからすると、右単行本は定価一二〇〇円で五〇〇〇部の重版を二回、合計一万部出版しても全部が販売可能であると見込まれていたところ、被告徳間書店が徳間文庫本「太陽風交点」を出版したため、重版することができなかつた。その得べかりし利益は、取次店への卸す際の卸値が定価の七一パーセントであるから、総売上げ額一二〇〇万円の七一パーセント八五二万円から製造原価及び製作、営業、宣伝費等の諸経費合計五三八万一七五八円を差し引いた三一三万八二四二円であり、原告は右同額の損害を被つた。

(二) 文庫本の損害七八二万円

原告は、ハヤカワ文庫本「太陽風交点」を三万部製作したが、被告らの不法行為により出版不可能となり、これをすべて裁断せざるを得ないので、営業、宣伝費を除いた右製作のための諸経費三二八万五〇五五円の損害を被り、得べかりし利益として、取次店への卸値である定価三四〇円の七〇パーセントの額に三万部を乗じた七一四万円から右経費額と一〇パーセントの印税額一〇二万円を差し引いた二八三万四九四五円を喪失し、右同額の損害を被つた。

また、本作品は第一回日本SF大賞受賞作品であり、被告堀の処女作品として読者層の購買力も高く、文庫本としても二万五〇〇〇部の重版が可能であつた。重版による得べかりし利益は少なくとも総売上額の二〇パーセントと見込まれるから、定価三四〇円に二万五〇〇〇部を乗じた額の二〇パーセント一七〇万円であり、原告は右同額の損害を被つた。

よつて原告は文庫本に関しては以上合計七八二万円の損害を被つた。

(三) 慰藉料 二〇〇万円

原告は、雑誌「SFマガジン」に被告堀の作品を掲載しかつ単行本「太陽風交点」を出版したが、その間、出版後の売行きの危険を全面的に負担しつつ、出版社として有形無形の援助によつて被告堀をいわば育ててきたのである。原告は、外国のSF作品を他に先駆けて読者に紹介するなど、SF分野における第一人者である。ところが、被告らの不法行為により、原告は文庫本化の能力を有しながら、第一回日本SF大賞受賞作品の文庫本化を他社に出し抜かれ、また、作家に裏切られるという出版社としての責任を果していないかの如き状況を呈し、他のSF作家や出版界及び読者に対する原告のイメージは失墜した。このような信用毀損に対する慰藉料としては二〇〇万円が相当である。

7よつて、原告は、単行本もしくは文庫本「太陽風交点」についての出版権に基づき、被告徳間書店に対し、徳間文庫本「太陽風交点」の印刷、製本、発行、頒布の禁止を求めるとともに、被告らに対し、被告らが各自、前記損害のうち内金として一〇二〇万円及びこれに対する本件侵害行為が行なわれた日である昭和五六年三月五日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をすることを求める。

二請求の原因に対する被告らの認容

1被告徳間書店の認否

(一) 請求の原因1中、昭和五四年一〇月一五日、原告からその主張の単行本「太陽風交点」が出版されたことは認めるが、その余の事実は不知。

(二) 同2の事実は否認する。

(三) 同3中、被告堀が原告に「太陽風交点」の出版権を設定する旨の明示の文言を交わしていないことは認めるが、原告主張のような商慣習、慣行の存在は否認する。

(四) 同4中、徳間文庫本「太陽風交点」出版の事実関係は認める。

(五) 同5の事実は否認する。

(六) 同6の各事実はいずれも不知。

2被告堀の認否、反論

(一) 請求の原因1中、被告堀が原告との間で原告主張の出版権設定契約を締結したことは否認する。その余の事実は認める。

昭和五三年一〇月当時、被告堀は、海外出張、子供の出産等で多忙を極めており、今岡と面談したことは一切ない。被告堀が原告から単行本「太陽風交点」を出版したのは、昭和五四年一〇月上旬、原告から、単行本「太陽風交点」を、同月一五日に、七〇〇〇部、定価一二〇〇円、印税一〇パーセントにて出版したい旨の発行申込を受け、被告堀がこれに対し異議を述べなかつたことにより、黙示の出版許諾契約が成立したことによる。

(二) 請求の原因2の事実は否認する。

昭和五五年一二月二一日、細井が私用で被告堀宅を訪問した折、たまたま「太陽風交点」の文庫本化の話が出たことはある。しかし、その時の話は、被告堀が雑談として極めて抽象的に自己の心境を述べ、「太陽風交点」を文庫本化することはかまわないが、その際は装訂や解説は変更した方がいいので、時期が来たらかんべむさし氏(SF作家)あたりに頼んでみようかと示唆したに過ぎず、何らの具体的な話はなかつた。

(三) 請求の原因3についての認否は被告徳間書店と同じ。

出版権設定契約が成立するためには、著作権者の設定行為がなければならず、出版権を設定するか否かは著作権者の自由である。しかるに、被告堀は、当時原告から出版権設定契約の説明を受けたこともなく、右契約の法的効果についての認識もなかつたし、また、原告が契約締結にあたつたと主張する今岡、細井にしても、出版権設定契約と出版許諾契約の区分、法的効果の差異を理解していなかつたのであるから、出版権の設定が行なわれるはずがない。

(四) 請求の原因4ないし6についての認否は被告徳間書店と同じ。

三被告徳間書店の抗弁

被告徳間書店は、昭和五六年一月二九日、被告堀との間で、文庫版「太陽風交点」の出版につき、公刊期日同年三月五日、収録作品「イカルスの翼」「時間礁」「暗黒星団」「迷宮の風」「最後の接触」「電送都市」「骨折星雲」「太陽風交点」「遺跡の声」「悪魔のホットライン」、印税定価の一〇パーセント、支払時期、公刊期日翌々月一五日第一回支払、以降逐月一五日三回払と定めた出版権設定契約を締結し、同年二月一九日、第一回発行部数を八万部、定価を三八〇円とする旨合意し、同年三月一二日、右出版権設定登録をした。

四抗弁に対する認否

被告徳間書店の抗弁事実は認める。

五再抗弁

著作権法上、出版権が対外的効力を生ずるのは登録がなされたときとされているが、二重出版を行なつた後行の出版社に悪意がある場合、先行の出版社は後行の出版社の出版を差止める対外的効力を有すると解すべきである。被告徳間書店は、原告が「太陽風交点」についての出版権を有していること、原告から出版権譲渡の承諾を得られないことをいずれも承知しており、かつ原告が既にハヤカワ文庫本「太陽風交点」を製作していることを熟知していたのに、自社の後援する日本SF大賞を契機に利潤を得べく、原告出版の単行本「太陽風交点」の出版後わずか一年数ケ月後に、これにわずかな著者校正を加えただけで、小松左京の解説についても原告の承諾を得ることなく全文引用して、徳間文庫本「太陽風交点」を出版し、これまで利用したことのない出版権設定登録を本件の場合のみ原告から提訴されることを予想して計画的にあえて利用して、原告の文庫本三万部を販売中止に追いやつた。これらの事情を考慮すれば、被告徳間書店は背信的悪意者であり、その出版権設定登録をもつて原告に対抗することはできない。

六再抗弁に対する被告徳間書店の認否

再抗弁事実は否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一昭和五四年一〇月一五日、被告堀執筆のSF短編小説「イカルスの翼」「時間礁」「暗黒星団」「迷宮の風」「最後の接触」「電送都市」「骨折星雲」「太陽風交点」「遺跡の声」「悪魔のホットライン」の一〇編を収録し、装訂加藤直之、解説小松左京による四六版上製本(単行本)「太陽風交点」初版七〇〇〇部が、定価一二〇〇円で原告から出版されたこと、被告徳間書店が、同年三月五日、右単行本と収録する小説も同一で小松左京の解説もそのまま掲載した徳間文庫本「太陽風交点」八万部を定価三八〇円にて出版したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二〈証拠〉によると次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

被告堀は、昭和四五年、原告出版にかかる雑誌「SFマガジン」に、SF短編小説「イカルスの翼」を発表して以来、敷島紡績株式会社に勤務するかたわら、右雑誌等にSF短編小説、エッセイ等を発表してきたSF作家であるところ、昭和五二年中に二度ほど、以前から親交があり当時「SFマガジン」編集長代行であつた今岡から、作品もだいぶたまつてきたので、これらを集めて、被告堀の処女出版として四六版上製本による作品集を出版してはどうかとの提案を受け、当時結婚したこともあつたので、これを契機にすでに発表していた作品のうちから宇宙小説を集めて作品集を出版したいとの意向を固め、翌昭和五三年三月、今岡と打合せて、同年六月初旬には、「時間礁」「迷宮の風」「電送都市」については改稿した原稿を、「熱の檻」については、掲載された雑誌「奇想天外」の該当部分のコピーを、「太陽風交点」「イカルスの翼」「暗黒星団」「最後の接触」「遺跡の声」「悪魔のホットライン」については、「SFマガジン」に載つたものを原稿として使つて欲しいとの手紙を添えて今岡宛送付した。そして、同年八月末に「骨折星雲」が宇宙小説とのテーマにより合致するので、今岡の意見もあり、これを「熱の檻」にかえて収録することにした。

今岡は右原稿等を受領した旨被告堀に連絡した際、本は同年秋に出版される予定である旨述べた。しかし、同年秋ころは、原告においてハヤカワ文庫のファンタジー部門、ジュニア部門の新設、アガサ・クリスティーフェアーの開催等の準備で忙しく、この関係で出版すべき本が多数あつたため、早急に利益があがるとは思われない単行本「太陽風交点」の出版準備は滞りがちであり、また、被告堀も、勤務先からの海外出張等で多忙であつたため、今岡と被告堀との連絡もないまま過ぎた。翌昭和五四年五月、今岡から被告堀へ出来上つた校正刷りを発送した際に、装訂は加藤直之に、解説は小松左京にそれぞれ依頼することが決められ、同年八月、タイトルを「太陽風交点」とすることが決定された。同年九月、単行本「太陽風交点」の出版の準備が調つたので、原告は、発行予定日昭和五四年一〇月一五日、発行部数七〇〇〇部、定価一二〇〇円、印税一〇パーセントと決定し、その旨を記載した同年一〇月一日付書面を被告堀あてに送付した。そして、前記のとおり同年一〇月一五日、右単行本が出版された。

2単行本「太陽風交点」の出版にあたり、原告側として被告堀との交渉に当つたのは今岡であるが、両者間において、右出版に関し出版権の設定という文言が交されたことはなく、その他出版の条件等についての話もなく、被告堀が右単行本の発行予定日、発行部数、定価、印税額、印税の支払方法を原告から明示されたのは、右単行本が発行された昭和五四年一〇月一五日の直前である同月五日に送付を受けた前記同月一日付書面によつてであり、この書面は、上段に「太陽風交点を下記の通り発行させていただきたいと思います。」との文言があり、下段に発行予定日、版数、発行数、定価、印税額、支払予定日及予定額についての記載があるものであつて、この書面の内容からは原告と被告堀間に単行本「太陽風交点」についての出版に関する契約がいかなる種類のものと定められたかをうかがい知ることのできないものであつた。なお、発行時期については、今岡が被告堀から単行本用の原稿等を受領した昭和五三年八月には、今岡から、同年秋ころ出版する旨の話はあつたが、実際の発行時期は専ら原告の都合により決定されたものであつた。

被告堀は、出版権を設定する旨又は原告以外の出版社から短編小説集「太陽風交点」を出版しない旨明言したこともなく、当時著作物の出版に関する契約に、出版権設定契約と出版許諾契約の区別があることすら知らなかつた。

3右認定の事実によると、原告と被告堀間において、遅くとも、昭和五三年八月ころまでに、単行本「太陽風交点」の出版に関する契約が締結されたことが認められるが、本件全証拠によつても、締結された右契約が物権類似の性質を有する出版権を設定する出版権設定契約であると認めることはできない。すなわち、右認定の事実から明らかなとおり、原告と被告堀の間では出版権の設定との明示の文言その他出版権設定をうかがわせるに足る文言は交わされていないばかりか、当時、被告堀としては、出版に関する契約に出版権設定契約と出版許諾契約があることすら認識していなかつたのであり、一方、右単行本の出版について原告側として被告堀と交渉に当たつた今岡についていえば、同人が証人として供述したところによれば、同人は右契約の種類については理解していたものの、本件においては単に出版を独占しうるのは当然と考えていたというに過ぎず、同証言のすべてを検討しても、本件につき、出版権設定契約を締結する意図ないし認識があつたとは認定できないのであつて、このような両当事者間で締結された出版に関する契約をもつて出版の単なる許諾以上の権利義務を契約当事者に発生させる出版権設定契約とみることは到底許されないからである。

三昭和五五年一二月二一日、細井が被告堀宅を訪問したこと、被告堀が細井に対し、単行本「太陽風交点」を文庫本化し、ハヤカワ文庫に収録することはかまわない旨述べたことは原告と被告堀間に争いがなく、〈証拠〉によれば、その際、被告堀は、ハヤカワ文庫に「太陽風交点」を収録する場合には、装訂、解説は単行本のものを変更した方がいいこと、解説はかんべむさし氏(SF作家)がよいことなどを細井に対し述べたこと、細井は、昭和五六年九月までにはハヤカワ文庫本「太陽風交点」を出版する予定である旨述べたこと、また、細井は昭和五五年一二月に、被告堀著作にかかるハヤカワ文庫本「梅田地下オデッセイ」出版に関する原告側の担当者になつたため、右文庫本出版が遅延していることについて事情説明等の職務のために被告堀宅を訪問したのであつて、職務とは無関係に全くの私用で訪問したのではないこと、したがつて、被告堀とハヤカワ文庫本「太陽風交点」出版についての話し合いをした際にも原告の立場にあつたものであること、しかし、右文庫本化についての話し合いは時間にして二、三分のことであり、被告堀としては文庫本化についての打診もしくは事前交渉程度であると思つたこと、その際被告堀と細井間において出版権の設定をする旨の文言が交わされたことはなく、原告以外から「太陽風交点」の文庫本化をしない旨明言されたこともないこと、細井は当時出版契約には出版権設定契約と出版許諾契約があることの認識はなかつたし、被告堀も単行本「太陽風交点」出版の際と同様に右契約の種別についての認識がなかつたことが各認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によると、右日時における被告堀と細井間での話し合いの結果、被告堀が原告に「太陽風交点」を文庫本として出版することの許諾を与えたと評価することはできても、これをもつて出版権設定契約あるいは独占的出版許諾契約の締結ということは到底できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。また、右話し合いのほかにハヤカワ文庫本「太陽風交点」の出版権設定契約あるいは独占的出版許諾契約が締結されたとの主張立証はない。

四原告は、原告と被告堀間で出版権設定の明示の文言が交わされていないことは認めながら、出版界の慣行として、著作権者と出版社間の単行本あるいは文庫本についての出版契約は出版権設定契約であり、本件における単行本及び文庫本「太陽風交点」の出版に関する契約も出版権設定契約であると主張する。

〈証拠〉によると、ある著作物につきこれを最初に出版した出版社と著作者の間で当該著作物の出版につき明示の出版権設定契約もしくは他の出版社から出版させない等の明示の合意が交わされていない場合であつても、他の出版社は先行出版社の立場を尊重して、通常は三年程度は同一著作物についての出版を差し控えることが出版社として望ましい態度であると一般的には評価されており、したがつて、他の出版社が同一著作物を出版しようとする場合には、先行出版社の了解を得ようとし、その為に金員の支払いその他の見返りの提供が先行出版社にされることもあることが認められる。このように先行出版社の立場を尊重しようとする一応の慣行が出版界にはあることは認められるのであるが、マ方、前掲各証拠によれば、先行出版社と後行出版社間の力関係もしくは先行出版社と著作権者の力関係により、先行出版社が他社から出版することにあえて異を唱えない場合もあることが認められるのであつて、これらを考え合わせれば、右の慣行がすでに出版界において慣習法又は事実たる慣習として定立していると認めることはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。のみならず、右は出版社間における事情であつて、出版社間で先行出版社の立場が尊重されてきたからといつて、このことが直ちに著作者もしくは著作権者をもこれに依ることが当然である。あるいは出版社と著作権者間の出版に関する契約の解釈においてこれが尊重されなければならないとの意識が確立されているとは、本件証拠上到底認めることができない。

原告は、著作権者に同一著作物について複数の出版社との間に複数の出版契約をする自由を認めたとしたら、先行の出版社は絶えず同一単行本もしくは単行本よりはるかに低額な文庫本の出現の危険にさらされ、単行本出版を不可能とし、文庫本についても果てしない値引き競争を惹起し、ひいては出版社の経済的基盤を失わさせるのみならず、読者の上質な単行本を求める権利を失わせる旨主張するが、もし、出版社にして、自ら欲すれば、著作権者との合意により、著作権法が一般的な著作物の利用の許諾とは別に明定しているところの著作物を複製頒布するについての排他的独占的権利である出版権の設定を受けることができるのであり、あるいは出版許諾契約であつても明示の約定によりこれに独占性を付与することにより、このような場合に出版社に生ずることあるべき不利益をあらかじめ防止することができるのである。本件の場合、前示認定の事実によれば、原告は被告堀との間において単行本もしくは文庫本「太陽風交点」の出版につき、出版権設定契約を締結するにつき何らの障害もなかつたと推認されるにもかかわらず、漫然これを締結するの労をとらなかつたのであるから、そのよつて生じた結果を甘受するのほかはない。

また、出版社と著作権者間に信頼関係のある場合には、出版権設定契約又は独占出版許諾契約が締結されていなくとも、事実上、著作権者が先行出版社の意向を無視して同一著作物を他社から同時に出版することはないであろうが、かかる信頼関係が崩壊してしまい紛争が生じた場合にも、明示の約定が何ら存しないのに、出版社の利益を保護するために、信頼関係に基づく従前の運用の継続を著作権者の意に反して強要することはできないことは当然である。

原告の主張は失当であつて、採用しない。

五以上のとおり、原告と被告堀間の単行本及び文庫本「太陽風交点」の出版に関する契約は、単純な出版許諾契約と解するほかなく、これを出版権設定契約と認めることはできないから、出版権設定契約であることを前提に、被告堀が被告徳間書店からこれと同一の徳間文庫本「太陽風交点」を出版したことをもつて、被告らが原告の出版権を侵害したとする原告の主張は理由がない。

よつて、原告の被告らに対する本訴各請求は、その余の点につき判断を加えるまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(牧野利秋 飯村敏明 高林龍)

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